コラム
マサチューセッツに帰りたい
2020年11月20日
ビージーズの『マサチューセッツ』を久しぶりに聞いたら、懐かしさがこみ上げてきてまいった。調べてみると1967年から68年にかけてヒットした曲だった。どうりで。むかし、1960年代で時計がストップしてしまった人がいて、ひそかにリスペクトしていた。
日本は60年代までが戦後だった。70年代は空白期。80年代から変質が始まって、今はもうその頃の日本とは似ても似つかぬ国だ。だから、60年代は今も心に宝物のように残っている。しかしそれにしても60年代の他の曲ではこうは行かない。マサチューセッツには何か特別なものがあるのだろうか。あるのだろう。マサチューセッツに帰りたいという歌である。
夜中にテレビをつけたら、開拓農民のドキュメンタリーをやっていた。満蒙開拓から命からがら帰ってきたら、今度は作物のできない日本の山奥に追いやられた。「国はひでえことをしやがるなあ」という言葉が自然に口を突いて出た。だが、そうするしかなかったんだなあ。国も。そうするしかなかったんだなあ。国ってのはそういうもんだ。そうするのが国ってもんだ。誰かが、どこかで、ひどい目にあう。ひどい目にあっている人が必ずいる。それが国なんだな。誰かをひどい目に合わせても、すずしい顔で生き残っていく。なにがあっても、生き残っていく。そういうことをわかってるから、わかり過ぎてるから。天皇は悲しい顔をしてるんだなあ。そういうことがわからないから、政治家は図々しい顔をしてるんだなあ。
『独特老人』という本に梯明秀という名を見つけたとたんに、記憶がよみがえった。おぼろげな著書名もいっしょに、記憶の底から浮かび上がってきた。『戦後精神の探求』だった。そうだった。高校の英語の授業中に読んでいたら、マークというブラザーの先生に見つかって、「ゲッタウト」と言われた。これ幸いと出ていこうとしたら、近くにいたE君という同級生が、いきなり抗議を始めた。そこから先はよく覚えていない。覚えているのは、E君がその後赤旗の政治部の記者になったことと、風のうわさでそこも除名されたと聞いたことだけだ。