コラム
歴史の教科書
2020年7月20日
高校の世界史の教科書をわかりやすい英語で書いた本が出ていて、読んでみると新鮮に感じられてしばらく没頭した。日本語の世界史は今更通読する気はしないが、これなら通して読める。年を取ったせいか、歴史の中の百年ぐらいの単位が短く感じられ、若い頃と違って、千年前の出来事もそう遠くない過去のようにのみこめる。なるほど、これは年を取ることの効用だな。
今の教科書が昔と違うのは、イスラームの歴史にページが多く割かれているのと、前10世紀ごろから最近までのアフリカの歴史にも触れられている点である。ナイル川上流にアフリカ人の国として前10世紀に起こったクシュ王国が、4世紀にエチオピアのアクスム王国によって滅ぼされる話は初めて聞いた気がする。15世紀ごろのソンガイ王国の交易都市トンブクトゥが、内陸アフリカにおけるイスラームの学問の中心地として栄えた話もである。
教科書の最後はグローバル化の問題で締めくくっていて、地球環境、人口、食糧、公衆衛生、貧困、ジェンダーなどの課題を掲げているが、今の世界が直面している新型コロナウイルスのパンデミックの脅威はそこでは想定されていない。
しかし、このパンデミックの脅威は日本でもいよいよホンモノになってきた。前にちょっとした自粛で切り抜けたように見えたが、皆で羊の皮をかぶって、いかにも自制心がある社会のように見せかけて、やり過ごせるほど、コロナは甘くはなかった。日本社会が本当はどういう価値観でできている社会なのか試される、これからが本番なのだろう。
2005年に行われた世界価値観調査で、「権威や権力はより尊重されるべきか」という質問に「はい」と答えたのは、イギリス76%、アメリカ59%に対して、日本は3%と群を抜いて低かった。伝統的価値と世俗的合理的価値のどちらを重んじているかという点でも、日本人が世俗的合理的価値を重んじる比重は突出していて、世界で最も高かった。
世界で最も権威を嫌い、伝統的な価値観にとらわれず世俗的合理的価値を重んじる、つまり「得になることはするが、損になることはしない」。その日本社会が、もう経済的給付も枯渇し、ただ権威による警告だけになったとき、パンデミックに対してどういう姿を現すのか、誰にとっても他人事ではない。