コラム

じっと手を見る

1997年7月20日

 

中央公論にフォーリン・アフェアーズのページがあって、そこの極東代表のT氏がいつも雑誌を送ってくださるので、愛読者になってしまったのだが、9月号に沖縄のことを書いた論文が載っていた。米軍基地のおかげで沖縄の復興ができたことや、沖縄の経済が成り立っていること、知事が基地撤去を訴えにアメリカに行って、そこで豪遊してひんしゅくを買った話などが書かれている。なんだやっぱりそうだったんじゃないか、自分で思っていたとおりの内容なのですっかり意を強くしてしまった。ま、そんなことはどうでもいいのだが。

 

ある夜、のんだくれて歩いていると、そのT氏が道端の易者に手相を見てもらうと言い出した。易者子も最初は当たり障りのないことを言っていたが、そのうちそうでもなくなってきたので、T氏は少し怒ったように、じゃあこの人の手相はどうですかと私の手をつかんで易者子の前に差し出した。

 

ところが、思うことか、子は私の手を、まれに見るいい手相だ、などという。ほんとか、と疑いつつも、悪い気はしない。今はしがない街の会計事務所稼業だが、そのうち、思っても見なかった僥倖が訪れるのかもしれない、などという考えがちらっと頭をもたげたりもする。まあまあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦ってね。憤るT氏をなだめつつも、つい自分の手相に見入っているしまつ。

 

あぶない、あぶない。最近詐欺に引っかかった人の話を聞いたが、あなただけは特別ですよとささやかれて、ついその気になってしまったのが、ことの起こりであったらしい。うーむ、誰しもそういう誘惑には弱いものだ。