コラム

ヒゲの弁解

1998年2月20日

 

40を過ぎたら顔に責任を持てとかなんとかいうのがある。40を過ぎなくても、だいたいみんな責任はとらされているはずで、40を過ぎてからことさらにいわれるのは少し合点が行かないが、そんなことはまあいいとして。ヒゲを生やしていると、家人には怪しそうなヒトに見えるといわれる。だいたい怪しそうなヒトは怪しくなく、怪しくなさそうなヒトが怪しいのが世の常である。と、反論しているが、よくよく考えると自分が怪しそうに見えることは肯定してしまっている。

ヒゲを生やしているために損をしているかもしれないと思うことも確かにある。もう少し神妙に銀行員(失礼!)みたいにして、世の中に恭順の意を表している方がいいのかもしれない。そうしていつか安泰なときになってからヒゲ、じゃなかった自我を出すというのが賢いやり方かもしれない。いうなれば、こつこつと蓄財しておいて充分に貯まってから自我を買うわけだ。

それならばしかし今のうちから買っておくのもそんなに悪い選択ではないように思える。誰かも言っていたが、なんといってもヒトは自分自身になるために生まれてきたのだ。自我の買い方が性急であっては仕損じるが、遅すぎると間に合わなくなる。しかし結局はそういう買い方というかなんというかスタイルも含めて自分というものなのだろう。

ヒゲのいいわけがずいぶん大げさな話になってしまったが、つまるところこの世で一番高い買い物は、自分というもので、ヒトは誰しもそういう高い買い物をしてしまっているのだなあと、今更のように思う。