コラム

ノストラダムスの預言

1998年8月20日

 

今年も残り少なくなったといえば、通り一遍の時候の挨拶だが、いつもとは少し趣の異なる年の暮れである。というのも、来年はいよいよ1999年、あのノストラダムスの預言の年に当たる。

「1999年の7ヶ月、
恐怖の大王が空に現れる、
アンゴルモアの魔王を甦らせ、
その頃火星がほどよく支配する」
ということで、なんだかよくわからないが、心して新年を迎えなければならないのだ。

恐怖の大王というと、つい「つけ麺の大王」の「恐怖の味」を思い出しそうになるが、宇宙人の来襲であるとか、巨大隕石の衝突、ブラックホール、核戦争、火山噴火、公害とさまざまに説があるらしい。このメニューの中から選べといわれたら、宇宙人の来襲がいいような気がする。どうせなら、未知との遭遇を経験してからオサラバしたい。

1990年に自分なりに未来を予測して、ノートに書きつけた。見返すと「冷戦が終り、これから半世紀は世界各地で局地戦が多発する」とある。どうやら、まだ予測は外れていない。日本は今のところこうした局地戦の当事者にはなっていないが、これから先どうだろうか。日本では瑣末主義と価値の衰弱が蔓延していく一方である。破壊と創造が我々の歴史の摂理だとすれば、創造の行き詰まった社会にはそろそろ破壊の出番が控えているのかもしれない。

長期的に見れば、我々は皆死んでいる、といったのはケインズだが、長期的にはともかく、短期的にはなかなかそうもいかずあくせくするしかない。この暮れに、店を閉じるというハガキが送られてきた。作家のオヤジがやっているゴールデン街の飲み屋だが、あまり酒が呑めなくなってから自然と足が遠のいていた。そういう常連が多くなったせいだろう。「バルブがはじけてから景気がよくない」と書いてあったが、はじける前だって景気がよさそうには見えなかった。それにしても、「バルブ」ってなんだ?「バルブ」がはじけたら、水浸しだ。誤植か水浸しか、どっちにしても終わりにしては締りがないが、最期に見に行って笑ってやるか。