コラム

ムトゥを見に行く

1998年9月20日

 

昔の卒業アルバムの写真をテレビで使うからといって、アシスタント・ディレクターを名乗る髪の長い男が事務所に借りにきた。中学の同級生に一人芸能人がいるのだが、彼の回顧談の中でアルバムの写真を映したいというのだ。よく貸したきりになってしまうと聞いていたので、必ず返してくださいよと念を押してプロデューサーの借用証までもらっていたが、放映のことはいつのまにかすっかり忘れてしまっていた。それでアルバムを返してもらうときにビデオをもらって、さっそく回してみたら、画面はほんの一瞬映っただけで、なんだか拍子抜けしてしまった。

それはそうと、10年以上使いつづけたわが家のテレビにも、とうとうガタが来た。画面は変わりないのだが、音が全く聞こえなくなってしまった。出演者がにたにたげらげら笑っていても、音が聞こえないと腹立たしいような気がしてくる。しばらくは我慢できるかと思ったが、音のしないテレビはとうてい耐えられないと知った。

正月早々テレビを買いに行くのもなんとなく気後れする。しょうがない、映画でも見に行くか。というので、探し出して行ってみたのが『ムトゥ、踊るマハラジャ』、けっこう人気はあるらしいが、所詮マイナーなインド映画である。ところが、行ってみて驚いたのが映画館を取り巻く大行列。予想もしない熱気に満ちた超満員の館内だった。

映画の内容は、なんというか、例えはちょっと古いが”市川歌右衛門の旗本退屈男”を思い起こさせる小太りのインド映画のスーパースターが、あるときは”雨に歌えばのジーン・ケリー”のように、またあるときは”スーダラ節の植木等”のように、そして最後は”燃えよドラゴンのブルースリー”のように大活躍する、いいかげんな話である。

それでも、3時間の上映が終った時には、場内は満場の拍手となった。なんだか、昭和30年代の映画館の中に戻ったような錯覚に一瞬襲われ、観客の誰もがしばらくはその余韻に浸っているように思われた。