コラム
ガングロ・サクソンの世紀末
1999年10月20日
池袋の文芸座で昔アメリカのポリスものを集めてオールナイトで上映したことを思い出した。これでもかこれでもかとポリスの不正ばかり出てくるのでうんざりした憶えがある。もちろんそれ以後もこの題材は尽きることがなく、ポリスものは次々に封切られ、つい最近も『LAコンフィデンシャル』が話題になり、アカデミー賞までとってしまった。
しかしその手のことがだんだんよその国の話ではなくなってきている。日本の警察もこのところ地盤沈下が激しく、いろんな不祥事に加えて、グリコ森永事件の時効のオマケまで付けてしまった。余談だが、狐目の宮崎学氏はときどき高田馬場の芳林堂の下で見かけた。身代金の受け渡しでもしている風に、アタッシュケースを片手にいつも立っていて、さもありなんと思っていたのだ。アメリカではポリスがあまり当てにならないので私立探偵が繁盛している。ハード・ボイルドが流行るのもそういう背景があってのことだ。このところ日本でも探偵とか探偵学校の看板をよく見かけるようになった。警察が頼りにならなくなってきたこととなにか関係があるのだろうか。日本の探偵はこれまで金田一耕介と明智小五郎と相場が決まっていたが、いずれ続々登場してくることになるかもしれない。
アメリカでは警察は危険なところには行かないので無法地帯があちこちにできている。それから、ヨーロッパには車の速度制限のない国があるとなにかで読んだ。大都市にしか警官がいない上に、土日はみな休むので、規則を作っても取り締まる者がいない。それで最初から規則がないという。裁判の陪審制度も、民主的と誤解している向きもあるが、実は国や裁判官が楽をして責任逃れをするための制度であるらしい。英語を第2公用語にという新聞記事には我が目を疑ったが、なんにせよ欧米を手本にするのもいいかげんにしてもらいたい。
ところで、ガングロというピエロを思わせる奇妙なメイクをした少女達の一団を街で時々見かける。なにかヤケを起こしたというかキレたというか、そんな風にも見えないこともない。特に深い意味はないが、世紀末の日本を跳梁する彼女たちをひそかにガングロ・サクソンと名付けてみた。