コラム

ピアソラに出会う

1999年11月20日

 

ボクシングでパンチを受けすぎて脳に障害を生じたボクサーのことをパンチ・ドランカーというが、わが国政府もマスコミにたたかれつづけてとうとうパンチ・ドランカーになってしまったらしい。その結果、マスコミが喜びそうなことを率先してやる体質がすっかり身に付いてしまった。マスコミが喜ぶもののキーワードを挙げるとすれば、「グローバル」「インターネット」「女性」「ベンチャー」といったところだろうか。インターネットで金儲けを企む女性起業家あたりはさしずめもってこいである。ついでに社名にグローバルを付けるのを忘れてはいけない。

こうした体質は中央政府だけにとどまらない。地方もそうだし、与党も野党もそうだ。実際、東京都の石原知事や三重県の北川知事などはマスコミ受けばかり狙っている。石原知事の銀行税構想に対してポピュリズムという批判があったが、そうではない。マスコミイズムだ。衆愚政治というが、間違ってはいけない。愚かなのは大衆ではなくマスコミなのだ。とはいえ、この愚か者は益々強大になりこのまま千年王国すら築く勢いである。

だいぶ前になるが西早稲田の鳩屋敷が焼けたとのことで、そこのオヤジがテレビに出ていた。ほんとのところはよくわからないから、想像の域を出ないのだが、オヤジはひどい人間嫌いでこの世にも愛想が尽きていたが、鳩にだけ好意を持つことができた。そんな感じではなかったか。困ったことだが、その気持ちがわかった。

今年になってからよく上野の動物園に行っている。動物園からの帰りに、音楽会に寄った。演奏が始まったとたんにものすごい睡魔におそわれる。これは使っている脳が左脳から右脳へ切り替わるときに起こるクラッシックにつきものの現象だと、いつも自説を展開するが人にはなかなか信じてもらえない。最後の一曲になって睡魔がようやく抜ける頃、アストル・ピアソラに出会った。サックスとピアノの静かな二重奏だったが、身体中の細胞が突然目覚めた。暗がりの中でプログラムに目を凝らすと、ここ数年にわかに脚光を浴びているタンゴの作曲家だと書いてある。ピアソラ、ピアソラと唱えながら帰り、翌日さっそくCD屋に走った。それまで名前も知らなかったことを恥じたのだが、ピアソラの棚には周囲を圧倒するほどCDがずらっと並んでいて、人気のほどが知れた。

ピアソラの音楽には人間社会の混沌のすべてがあると誰かが書いている。僕は確信した。人の世は不条理に満ち満ちていたとしても、それでもやはり人は何よりも人に出会いたいのだ。