コラム
雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ
2000年9月20日
これといって大病を患ったことはまだないが、何かの天罰か口内炎ばかりはよく出来る。痛さに眠れないで夜中にテレビをつけたら、こんな時間に教育テレビで21世紀のビジネス塾というのをやっていた。しばらく点けていると、案の定、IT革命がどうのこうのと騒いでいる。『IT革命?そんなものはない』(柳沢賢一郎、東谷暁著、洋泉社新書)という本を読んだばかりなので、見ていてもなんだか胡散臭く、すっかり鼻白んだ。
それにしても、我々はどうしてこうも不毛な感じのするIT社会とやらを招き寄せてしまったのだろう。目新しいものばかり追いかけているうちに、気がついたらこんな不毛な地平に来ていたというようなことなのだろうか。古いものに固執した方が、あるいは豊穣な社会だったかもしれない。常に古いものを打ち捨て、新しいものを追求する資本の論理を、うらみたいような気にもなるが、本当にそれが資本の論理だったのだろうか。マスコミの論理であることだけは間違いないが。
ところで、ときどき乗り降りする西船橋の駅の売店には100円の黒酢飴というのが売っている。他の駅の売店で尋ねても、まず置いているところはなく、怪訝な顔をされる。それから浜風という100円のおしゃぶり昆布も、どこにでも置いてないので困る。それが別に不満の種というわけではないが、我々人間の最も人間らしいところは、何かにつけ不満を持つというところではないかと考えた。そういえば、犬猫は何かを欲しがるということはあっても、あまり不満を持つようには見えない。
我々の不満の種はというと、たとえば冬の寒さ、夏の暑さ、雨の多さ、雪の深さ、風の強さ、道の悪さ、車の多さ、街並みの汚さ、階段の多さ、家の狭さ、建付けの悪さ、電車ののろさ、飛行機の狭さ、東京の人の多さ、田舎の人口の少なさ、ラーメン屋の行列の長さ、JRの暖房の強さ、タクシーの暖房の弱さ、食事のまずさ、食事の献立の少なさ、食事のカロリーの高さ、洗濯物の多さ、夫の収入の少なさ、子供の成績の悪さ、小遣いの少なさ、遺産の少なさ、税金の高さ、株価の低さ、地価の低さ、地価の高さ、他人のボーナスの高さ、お年玉の少なさ、お年玉年賀ハガキの当たらなさ、取扱説明書の難解さ、仕事の多さ、注文の少なさ、注文の多さ、夫の帰りの遅さ、夫の帰りの早さ、妻の愚痴の多さ、姑の意地悪さ、嫁の気の利かなさ、家人の仏頂面の多さ、ということで不満の種はなかなか尽きませんが、丁度紙数が尽きたようです。