コラム
リサイクルにご用心
2001年4月20日
公認会計士になる前のことだが、造園技師になろうとしたことがある。ある日役所の広報を見ていたら造園技師の募集と採用試験の要領が目に止まった。造園技師と言えば、ヴィトゲンシュタインかと、確か造園技師だった天才哲学者の顔がひらめき、突然受けようと思い立った。試験までは2ヶ月ぐらいだったと思うが、それまで見たこともない植物学や土壌学、建築学の本を買ってきて猛勉強した。受験者は大学で専門の勉強をしてきた連中だったが、大学の勉強なんてどのみちたいしたことはないと思っていたから、上位で合格した。しかし、短期間で身に付けたものは短期間でなくなってしまう。きれいさっぱり忘れてしまったが、1つだけ忘れていないことがある。農業が自然破壊だということである。
4月1日から家電リサイクル法が施行された。食品リサイクル法はじめ他のリサイクル法も強化され、環境に配慮した製品を優先購入するグリーン購入法なども強化されたという。この種のリサイクルや環境に配慮した製品というのは、本当に人類のために、環境のためになるのだろうか。農業が自然破壊であるように、リサイクルが環境破壊ということはないのだろうかと思っていたら、案の定、当たっていた。
武田邦彦氏の『リサイクルしてはいけない』(青春出版社)を読むとそのことがわかる。前々からリサイクルや環境なんて、どうも胡散臭いと思っていた。
紙をリサイクルするのに、新たに生産する以上のエネルギーがかかる。ペットボトルもそう。家電だってそうだ。それが環境をどれだけ汚すかと武田先生は言う。植物性で環境にやさしいというのも、ちょっと考えればわかるが植物をそれだけ痛めて作られているだけのことである。それで値段が高めだとすれば、それだけコストがかかっているからで、それはとどのつまり環境を汚していることになる。一見よさそうな風力発電も設備を作るのに環境を汚しているし、風を奪って生態系を痛めているらしい。
環境とかリサイクルとか言っても、結局は誰かの商売になっているわけだが、しかし人の子にそれ以上のことを要求するのが土台無理な話で、そうなるとどうやらほんとに人類のことを考えているのは神様くらいしか残っていないということで納得するしかなさそうだ。