コラム
現代の陶片
2001年5月20日
紀元前5世紀ごろといえば日本では縄文時代の終わりころだが、ギリシャでは貨幣経済が発達し、市民が政治に参加する民主政治が完成していたらしい。なぜ、そんなことが気になったかといえば、このところの日本の政治や社会が不気味なきしみ音を立てて、崩壊の前兆のような様相を呈し始めたと感じるからである。
古代ギリシャの民主政治は、市民が陶器の破片に独裁者になりそうな人物を書いて投票し、最高得票者を選び出して国外に追放する、陶片追放といわれる制度によって開かれたものであった。もともとが衆愚政治の様相を色濃くもっていたわけだが、案の定、それが極まって古代ギリシャの民主政治は内部から音を立てて崩壊していったとされている。
人気投票のようになっている今の政治をワイドショー政治などと形容する向きもあるが、確かに朝のワイドショーや夜のニュースステーションを、現代版の陶片と見ることができるかもしれない。
ところで、古代ギリシャのことを調べると、いろいろと面白いことがわかる。例えば都市国家アテナイには、そのころ既に銀行があったという事実である。そこでは委託された預金を用いて第三者に対する利子つきの貸付なども行われている。因みに年利は18%以上であったらしい。借入れについての保証人の制度はもちろんのこと、不動産担保貸付や貿易資金を融通するため船荷等を担保とする高利の海上貸付も行われている。
さらに興味深いのは、こうした金融をめぐる争いを含む裁判の弁論記録が残っており、そこから様々な人間模様が浮かび上がってくることである。裁判は契約書の改ざんをめぐる争いもあれば、預金を預けた、預けないの争いもある。遺産をめぐる泥沼のような争いの記録もある。裁判は原告と被告が陪審員の前で、それぞれ法廷弁論を展開するのだが、富裕な者は有力な弁論家を頼んで行うなど、さながら裁判制度や弁護士制度の原型を垣間見ることができる。
ほとんど現代と変わりないような社会であったと思われるが、衆愚政治に行き詰まった古代ギリシャの都市国家は、やがてアレキサンダー大王に率いられることになるマケドニアに、まもなく完全に征服されてしまうのである。