コラム

葛飾柴又、矢切の渡し

2001年9月20日

 

だいぶ前のことだが、フーテンの寅さんの山田洋二監督の話を聞く会があって、行ったことがある。後藤久美子さんのお母さんと叔母さんを知っていたので、お誘いしてご一緒した覚えがある。監督の話が終わりかけたころ、主催者側の知人がそっと近寄ってきてメモを渡された。見ると、講演の後、質疑の時間があるので何か質問してくれるようにと書いてある。私は自慢じゃないが、500人もの衆人の中で敢然と手を挙げて、すくっと立ち、にこやかに質問して、わっと座を盛り上げられるほど、人間が出来ていない。早い話、そんな度胸も器量もない。

しかし、主催者の拝むような視線に覚悟を決めた。結局、おずおずと手を上げ、よろよろと立ちあがり、緊張しきった顔で質問した。「監督は家族をテーマにした映画をよく撮っておられますが、監督のご家族はどんな家族ですか」。監督は、くぐもった声で「私の家族の話なんか別にいいですよ」と言って、それきりだった。

山田洋二は特段面白い人ではない。どちらかと言うと、つまらない人である。ときどきテレビで話しているのを聞いても、そう思う。しかし、ある種の慧眼の持ち主ではある。渥美清を見出したことをいっているのではない。山田洋二の慧眼は葛飾柴又を発見したことだと思う。そこに日本の原風景があることを発見したとき、フーテンの寅さんの映画は湧き出るように出来上がっていたはずだ。最近、縁あって行く機会が多いが、柴又に足を踏み入れるたびにそう思う。