コラム

みかんの皮むく頃

2001年12月20日

 

忘年会のシーズンだが、このところカラオケをする機会がめっきり減った。代わりに家でよく唱歌を歌っている。もちろん歌集を買ってきて歌詞を見ながらだが、不思議なくらい覚えていて、そういえば田舎の小学校で給食の後に皆で何曲か歌うのが日課だったことまで思い出された。好きな歌は「里の秋」と「みかんの花咲く頃」である。里の秋は、静かな秋の夜の、母さんと二人きりのさびしい情景を歌いながら、メロディーがいろりのように暖かいのがいい。みかんの花咲く頃は、歌いだしの「みかんの花が咲いている」が、断然いい。詞も曲もあっけらかんとして、かえって陰影が深い。それで、みかんの花が咲いているのは、「思い出の道、丘の道」だが、いったい何の思い出かと歌い進めば、「やさしい母さんの思い出」とわかる。

唱歌を歌いながら改めて気が付くのは、「母さん」の比重が高いことである。夜なべをして手袋を編んでくれた「母さん」。じゃのめでお迎え、うれしい「母さん」。ぽっくり、ぽっくり、おうまの「母さん」。お鼻の長いぞうさんの大好き「母さん」。そして、ないしょの話は、あのねの「母ちゃん」。

昔の母さんは確かにそんな存在だった。誰よりも遅く寝て、誰よりも早く起きて、いったいいつ眠るのだろう、いつ食べるのだろうと怪しんで聞いてみると、母さんはそんなに眠らなくても平気、食べなくても大丈夫と笑っていた。そういう「母さん」の残像あるいは原像が、唱歌には込められている。

もちろん、今は違う。こんなことを言ったら叱られそうだが、母さんは、どこの家でもたっぷりと眠り、しっかりと食べている。

ところで、齋藤孝という教育学者の書いたものが面白くて前から愛読していたら、最近になって急にブレークした。ベストセラーになっている『声に出して読みたい日本語』である。その中には唱歌も収録されていて、野口雨情の「黄金虫」が載っていた。「黄金虫は、金持ちだ。金蔵建てた、蔵建てた。」ここまではいいとしても、次は「飴屋で水飴、買ってきた。」と来る。エドガ・アラン・ポーの「黄金虫」というより、江戸川乱歩の方を連想させる不気味さがあるが、実際歌ってみてもあまり気持ちのいい歌ではない。アフガニスタンで、この歌をタリバン兵に聞かせたという話が何かに載っていたが、どうせなら「緑のそよ風」ぐらいにしてもらいたかった。

緑のそよ風、いい日だね。蝶々もひらひら、豆の花。七色畑に、妹の。つまみ菜、つむ手が、可愛いな。