コラム
パンドラの箱
2002年1月20日
年の初めのためしとて、終わりなき世のめでたさを、などと相変わらず唱歌を歌っていたら、終わりなき世どころか、日本はいよいよ駄目ではないかという議論が真剣に語られ始めた。それはそれで、なんだか日本終末論という名のマスコミの新商品くさいが、それにしても日本がお先真っ暗なのは確かだと思う。
なぜそうなったか。元旦に駅頭で街宣車が、がなっていた。それは~、マスコミの所為である。そして、マスコミの論調に振り回される政治家と政府の所為である。衰弱した今の政治家、とりわけ二世政治家はマスコミの論調を先取りするのが政治だと思っている。選挙に受かるためにはマスコミ受けすることで、マスコミからバッシングされたらおしまいだからマスコミに迎合する。当のマスコミはというと、なにかしら批判めいたことを言ったり、目新しいことを言ったりして、騒ぎを作り出すのが仕事で、決して国民が平穏無事に幸福でいることを望んでいるわけではない。まして、経済成長などとんでもない。不況と失業にあえいでいればテレビや新聞はホクホクなのである。政治家と政府がその言いなりになっていて、お先真っ暗でないはずがない。国民は無辜の民とは言わないまでも、所詮は風に震える葦の葉のような弱い存在に過ぎない。右といわれりゃ右向いて、左といわれりゃ左を向いているだけだ。
この事態を打開するにはどうしたらいいか。政治や経済をマスコミに操られないようにすることである。そのためには、マスコミの報道規制をすることだ。手始めに新聞やテレビの報道を「事実の部」と「意見の部」と「広告の部」に分ける。この区分を厳格に守らせる。見出しなどは大きな活字や映像で必要以上に強調させず、大きさを一律に定める。意見の部は必ず誰の意見であるかを公表する。そして、「事実の部」も「意見の部」も同じことを何度も繰り返させないようにする。新聞やテレビがつまらなくなることは確かだが、それくらいいいではないか。他に読むものや見るものは山ほどある。ニュースショーが流行り、キャスターなどというテレビ幇間が跋扈し始めてから日本は沈み始めた。こうした悪貨を駆逐することが日本浮上への第1歩だ。
だいたい、マスコミがいいことをしたためしがあるか。戦前の日本やドイツを見ても、マスコミがしたのは、国民を戦場に駆り立て多くを悲惨な死に追いやったことで、報道の自由などというが、これは地に災いをもたらす自由をマスコミに与えてしまっただけだ。マスコミは、災厄の詰まったパンドラの箱である。だから~、野放しにしておいてはいけない。
おっ、いいこと言うねえと思ったとたん、街宣車は煙のように消えうせて、長い初夢から目が覚めた。