コラム
常に自分が正しい
2003年5月20日
このところのカラスの多さは不気味である。カラスはいつの間にどこから入り込んだのか、東京の空を我が物顔で飛び回り、開き直った密入国者のようにゴミをあさり、けたたましく勝どきの声をあげる。童謡『7つの子』は、「カラスなぜ鳴くの、カラスは山に、かわいい7つの子があるからよ」と歌うが、現代のカラスは、もちろんちっともこんなに可愛げはない。なるべく目線を合わせないように気を付けなければならないナラズ者である。この調子で増え続けるとヒッチコックの『鳥』のようになりはしないかと、ときどき不安な気持ちになったりもする。
カラスもさることながら、気がつくとわれわれの周りは、不安を掻き立てるものばかりがあふれている。筆頭は、なんといっても新型肺炎SARSだろう。それから失業や倒産、金融危機などの経済不安。これが大きい。この経済不安がわが国の空気をどんよりと重いものにしている。しかも頼りにならない政治不安がその空気をいっそう辛気臭くさせる。それらに比べると北朝鮮などはマスコミが面白がっているだけで、不安という点ではカラスに及ばない。
もとより、われわれの不安はそれだけにはとどまらない。芥川龍之介ではないが、漠然とした不安がいつも足元に漂っている。この漠然とした不安の原因を考えてみると、われわれの周りに出回っている多くのモノやサービス、情報が自信を失わせる作用をしていることに気付かされる。ヴェブレンという人は人々の虚栄心が消費の動機になっているという「見せびらかしの消費論」を説いたが、人々の不安も充分に消費の動機になる。現代のマーケティングは、いかに人々の自信を喪失させ、不安を与えるかに工夫をこらす。それが功を奏して自信を失った人々は、不安を回避するために消費を促進する。その服は、流行おくれじゃありませんか。その車は、その髪型は、そのバッグは、その靴は、そのコンピュータは、そのカメラは、そのテレビは、その化粧品は、そのライフスタイルは、あなたに合ってないんじゃありませんか。かくして、至るところに不安が漂うことになる。
そこへいくと、私が使っている電波時計は、1秒の狂いもなく正確に針を刻んで、持ち主に不安を抱かせることがない。値段は1万なにがしかだが、数十万のローレックスよりも時計の機能は優れている。もちろん、数百万のなんとかパテよりも。だから、どこにいても、自信を持って言える。人と待ち合わせをするときも、駅で電車を待つときも、映画の開演を待つときも、飛行機に乗るために空港に向かうときも、「常に自分が正しい」と。ま、時計に限っての話だが。