コラム
痛みに堪えて
2003年11月20日
痛いというのは大変なことだとあらためて思い知った。“死は生の苦しみからの解放だ”などと普段うそぶいていても、いざとなると痛みにはからきしである。痛みに堪えてと誰かさんは言ったが、そうそう堪えられるものじゃない。救急車を呼ぶ間も、乗っている間も、病院に着いてからも、ただもう腹を押さえて、イタイイタイとのた打ち回るしかなく、なんとも情けなかった。「尿管結石」と病名がわかってから医学事典を引くと、二度と経験したくない痛みと書いてある。ふむふむ。さらに、あまりの痛さに驚いてしばしば救急車で来院するが、ほうっておいても死ぬことはないとも書いてある。こりゃ、完全に見透かされている。どうりで医者も冷たかったわけだ。ちょうどテレビでは『白い巨塔』をやっていて、どちらかというと唐沢寿明の財前先生を支持しかかっていたが、こういうときは江口洋介の里見先生の方がやっぱりいい。
新聞に塩狩峠の記事が出ていた。北海道の旭川から北へ30キロ。今から100年ほど前にその峠を越える鉄道で事故が起きた。連結器が外れて車両が急坂を暴走し始めた、そのとき車両とレールの間に身を投げてわが身をブレーキとして転覆を防いだ鉄道員がいたという。あまりにも感動的な話で三浦綾子の小説にもなったのだが、これに限らず戦前の日本には、まだ命を捨てて守るべき何ものかがあったのだ。
今しも、成長軌道、平和路線を大きく外れて暴走する特急列車日本号がいる。自らの命を捨てて、ということはすなわち、自らの身に計り知れない激痛を引き受けて、この転覆を防ぐ鉄道員がどこかにいるだろうか。小沢一郎なら、あるいはと思わせないでもない。しかし転覆を防いだところで、今の日本に守るべき何があるだろうか。
何もない日本で栄えているのはマスコミである。そのマスコミがあんなにも官僚を目の敵にするのはなぜだろうかと考えてみた。一つには反権力のポーズが欲しいためだ。そのためにマスコミは、官僚を生かさず殺さず、形だけの権力を持たせている。それで、官僚はいわば張子の虎に過ぎず、どんなに攻撃しても反撃されるおそれがない、というのがマスコミがこぞってバッシングする二つ目の理由。三つ目は、官僚的優秀さは大衆社会では決して尊ばれない。なぜならほとんどの人が持ち合わせていないからだが、それゆえに嫌われていることをマスコミは知り抜いている。
これだけの理由がそろっていれば、官僚はマスコミにとって格好の餌食でないわけがないのである。