コラム

怖い話

2004年3月20日

 

この世で一番怖いことは何だろう。ユダヤ人の少年ハロルドが強制収容所での経験を綴った『ラスト・サンライズ』を読みながら、ガス室へと続く長い行列の中にいる怖さが伝わってくるのは、昔の学校生活で収容所に共通する空気を多少味わったせいかもしれない。ちなみに10歳のハロルド少年は、アウシュビッツのガス室に入る寸前に首根っこをつかまれて行列からはずされ、それからの5年間を各地の強制収容所を転々と移動させられながら生き延びたのである。

一番怖いことは、自分の思い通りになることだと昔言った人がいたが、今もってそんな経験がないためか、それだけはぴんとこない。その点、怖いのは「鍵を忘れること」だというある友人の話にはいたく同感した。彼の怖い話というのはこんな話だった。

 あれは、30年以上も前の2月の真夜中でした。ほろ酔い加減で帰ってきた私は、部屋の鍵がないことに気が付きました。郊外のK駅から歩いて10分ほどのコーポ型のアパートに住んでいましたが、その前日にちょっとやりあったこともあって、その夜はカミサンが実家に帰っていました。必死で探しましたが、いや鍵ですよ、カバンの中にも、上着にも、コートのポケットにも鍵は入っていませんでした。おそらく部屋の中に忘れたまま出てきてしまったのだろうと思いました。その頃のアパートは、内側からドアのノブのボタンを押して閉める形になっていましたから。

ドアに付いている新聞受けの中に目を凝らすと、ノブのボタンまでちょっと手を伸ばせば届きそうにも見えました。新聞受けに手を入れて、なんとかやってみました。いろいろ角度を変え工夫もしてみましたが、惜しいかな、あと数センチぐらいのところで届きませんでした。それ以上は手が痛くなりましたが、あとほんの少しでした。酔いも手伝って私は無謀になっていました。痛みをこらえながら、手をぐっと奥へ差し入れました。皮が剥けて血がにじみました。それでも、無理でした。ため息が出ました。もう、あきらめるしかありませんでした。

あきらめて手を引き抜こうとしました。だが、どうしたことか、今度は手が抜けなくなっていました。渾身の力 を込めて引っ張ってみましたが同じでした。どうすべきか。座って考えようにも、手が挟まって、もはや座ることはかなわぬ体勢になっていました。かといって、立ち上がることも許されない状況となっていました。あろうことか、私は中腰の状態で、新聞受けの中に手を突っ込んだまま、真冬の深夜にひとり寒さと不安に震えおののいていました。

それからどんな騒ぎになったか、ご想像にお任せするとして、そのときの絶望的な状況を思い出すと、いまでも手がずきずき痛んでくるんです。えーと、右手だったか左手だったか。鍵を忘れるというのは、怖いですよ。いやほんと。