コラム

言い知れぬ闇

2004年4月20日

 

皆とは言わないまでも、人はそれぞれに言い知れぬ闇を抱えて生きているんだなあと思ったのは、エコノミストの植草某の事件を聞いてである。テレビで見ると、喜怒哀楽の薄い淡泊そうなところがきっとマスコミ受けしていたのだろうが、その表情と同じように経済の話も凡庸で、なるほどと思うようなモノ言いもついぞ聞いたことがなかった。今は、自民党の安部幹事長のようなヒットもない代わり失言もない淡泊な存在がもてはやされる時代である。そういう意味では、薄かった存在が、事件が起きたことで濃い存在になった。

この種の事件は、結局はその人の人間への異常に強い関心もしくは鬱屈した関心が引き起こすものだと思う。淡泊そうに見えた表情の裏側に、人間への異常な関心を隠し持っていたのだ。もっとも、人間にそれほどの関心を抱くなど、やはりとても恥ずかしいことだという気はする。恥ずかしいのは、それほどの関心を抱いていながら素振りも見せなかったことかもしれない。

今になって20世紀を振り返ると、いい意味でも悪い意味でも濃厚な人間の世紀だったのだと確信できる。21世紀は、女性の感性がますます時代の空気を支配するようになってくるだろう。これだけはどうしようもない。我々の社会はこれからどうなるのか、どうしても頭をもたげてくる悲観論を振り払おうと、『資本主義はどこに行くのか』という本をめくったら、資本主義は人類とともに滅びるとか、どこへ行くかよくわからないという結論になっていて、かえって心配になってしまった。その中で興味を引かれたのは、IBMとナチスの話である。ナチスが6百万人のユダヤ人を効率よく処分できたのは、IBMのホレリス・パンチカード・システムを使ったからで、IBMは、そのホレリスとやらを高いリース料でナチスに貸し付けて莫大な利益を上げたと書いてある。

ホレリスというのは何だろうと思って調べてみると、人の名前だった。ハーマン・ホレリスという人が、1890年に米国の国勢調査のために開発したパンチカード・システムが、ユダヤ人の強制連行名簿を作成するのに威力を発揮したということらしい。それで、このホレリスの発明は、今日のコンピュータ産業の基礎となった最も重要な発明だということや、ホレリスの作った会社がIBMの前身になったこともわかった。

他にも、ユダヤ人を強制収容所に移送する鉄道輸送で大きな利益を上げた鉄道会社や、ユダヤ人の企業を没収して売買することで財をなした銀行などが挙げられていたが、言い知れぬ闇を抱えて生きているのは、どうやら人間だけではないと思った。