コラム
台湾旅行
2004年6月20日
いくつもの原稿の締め切りに追われてそれどころではないのだが、司馬遼太郎の『台湾紀行』を読み出したら止まらなくなった。シバリョウはどちらかというとポピュラー過ぎて敬遠してきた部類の作家なのだが、さすがに読む者を引きつける吸引力は並はずれている。
シバリョウの『街道を行く・台湾紀行』が面白いというのは、新宿区長の中山弘子氏から教わった。『悲情城市』を作った侯孝賢監督の話をしたら、台湾生まれの中山氏もファンだという。それやこれやで、私はいっそう中山ファンになった。
台湾では、戦後大陸から渡ってきた占領軍に対して、もともとの本島人が対立して大量に虐殺される事件なども起きた。今のイラクをみても占領軍に対する抵抗運動は簡単には収まりそうにない。歴史をひもといても、占領軍と現地人の対立と殺戮は枚挙に暇がない。
そこで不思議に思うのは、米軍占領下の日本である。日本で占領軍に対する反乱や抵抗運動がほとんど起きなかったのはどうしてだろう。戦っていたのは軍隊だけで、国民は戦っていなかったのか。それとも、ある種の淡泊さ、潔さの現れなのか。あるいは米国に上手に去勢されたのか。そのことについて、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』あたりになにか考察の跡がないかと探してみたが何もなかった。
このところ、モーツアルトばかり聞いていて、CDウォークマンが手放せなくなっている。電車の中で珍しく酔っぱらいが絡んでいたので、ボリュームを絞って耳を傾けた。
「おい、あんた、そこの金バッジの人。あんた国会議員かい。えっ、市会議員。市会議員だって上等だよ。立派なもんだ。しっかりやんなよ。命がけでやんなよ。このままじゃあんた、日本はアメリカの植民地になっちゃうんだよ。それでいいのかよ。どう考えてるんだよ。こら、逃げるな市会議員!」
台湾の李登輝前総統と司馬遼太郎の対談で『台湾紀行』は終わっている。テーマは、生きる「場所の悲哀」。場所だけでなく生きる「時代の悲哀」もあると思う。こういう陰影のない時代は、モーツアルトのボリュームを上げて気分を高揚させるしかない。