コラム

2005年11月20日

 

夏の盛り、8月の半ばのある日、家のベランダに落ちている一羽の鳥を見つけた。鳥はケガをしていたが、まだ命があった。さっそく獣医に見せて手当を受けた。鳥はそれまで飼った経験がなかった。鳥に関する本を片っ端から買い込んだり、インターネットで検索したりして鳥の飼い方を研究した。餌も自分なりにいろいろ工夫して与えた。その甲斐あって、鳥はみるみる元気になり、一月も経つと肩に乗るようになった。私もいつの間にか鳥に夢中になっていた。やがて外に出しても戻ってくるようになった。

ところが、ちょうど3か月ほど経った11月のある日、鳥の飼い主だという人が現れて、連れて行かれてしまった。それからしばらくして、鳥が死んだという通知が写真と一緒に届けられた。私は鳥にまつわるものを残らず廃棄して、3か月間の鳥の記憶をすべて消し去ることにした。しかし、いったん夢中になったものを忘れるのは難しい。今でも時折、鳥がどこかに潜んでいるような錯覚に捕らわれることがある。

慰みに、こんな歌を詠んでみた。一葉忌はちなみに11月23日である。

 

暗ければ暗がりを見る一葉忌

はかなきことはただ美しき

 

秋の夜長、友人に誘われて立ち飲み屋を三軒もハシゴした。さすがに一人では立ってまで飲もうとは思わないが、ぼそぼそと話せるような連れがいれば立ち飲みもそう悪くはない。行ったのは恵比寿だが、あちこちに立ち飲み屋が出来ていて、これから全国に広まっていくのか、それとももう広まっているのか。

友人は昔から異性に話しかけるのが得意で、もう隣の女性たちに話しかけている。なるほどそういうことも立ち飲み屋が流行っている理由かも知れないが、こちらは早くも足が疲れて椅子が恋しくなっている。

このあいだ久しぶりに人力車を見た。人力という言葉は昔からあるが、最近は人間力という妙な言葉をときどき見かける。人間力は広辞苑を引いてももちろん載ってはいない。ここ最近の造語なのだろうが、こういう悪趣味な造語は勘弁してくれないかなあと言いたくなる。人間魚雷や人間爆弾の方がまだうんとましだ。