コラム
変な人の時代
2007年2月20日
あの人は変な人だねーという人が昔はいた。アパートの部屋の中の、そのまた押し入れの中に電気を引いて生活していた人。どうしてそんな狭苦しいところにいるのと聞くと、「へへへ、この方が落ち着くんだよね」という答えが返って来た。それから、世の中のことでプロレスにしか興味がない人。どうしてそんなものが好きなのと聞くと、「へへへ、どうしてなんだろうね。どうかしてんだろうね」と嬉しそうに照れていた。それから洗濯物をたたむのが好きな男。おい、みんな待ってんだからそんなもん後にしろよと言っても、「へへへ、これやらないと出かけられないんだよ」とたたむのをやめなかった。その男は洗い物も好きで、いつもしこしこ洗っていた。あの人たちはみんなどこへ消えてしまったんだろう。
今は変な人の時代なのだと思う。そのまんま東にしても、田中康夫にしても、それから石原都知事にしても、少し変な人だ。そうそう、変人宰相と言われた小泉前総理を忘れてはいけない。これからまだまだ、続々と変な人が出てくるに違いない。
このところ柳沢大臣の“生む機械”発言がひとしきり世上を騒がしたが、柳沢氏はやはり自分を選良だと思っているからこういうことを言うんだろうなと思う。しかし、柳沢氏はじめ今の政治家の多くは、果たしてほんとうの意味で選良といえるだろうかと疑問が湧いた。こういう人たちは、少し勉強のできた凡人で、昔は選良だったかもしれないが、いまはもう違うのではないか。今の政治家たちはいつまでも自分たちが選良だと思いこんで、むかし選良が占めていた地位にしがみついているだけではないのか。しかし、それはもうおそらく世の中の流れの桎梏になっている。今はタケシとか、そのまんま東とか、明石家さんまとか、何とかのシンスケとか、爆笑問題の太田とか、オカマの誰々とか、スピリチュアルの何某とか、スポーツ選手の誰々とか、ああいうちょっと変な人たちが選良なのではないか。
いまは学校の成績がいいとか、如才ないとか、試験がよくできるとか、いい学校を出ているとか、そんなことが選良の条件にならない時代である。子供が昔と比べて勉強しなくなっているといわれるが、それは勉強しても選良になれないことを、子供たちがとっくに見透かしているからではないのかという気がするがどうだろうか。