コラム
ねぎのハホハホ
2010年10月20日
近くのそば屋でカレー南蛮うどんとご飯を食べていたら、向こうの席でしゃべっているのが聞こえてきた。「ラーメンとライス、うどんとご飯を食べる人がいるけど、よく食べられるよね」。「いいじゃない、どんな食べ方したって」。「いいけど、自分は無理だなあって」。そういわれても、カレー南蛮を食べると、ついご飯がほしくなるたちなので。それに、昔はスパゲッティーだって、お弁当のおかずだったよ、たしか。それから、高田馬場当たりでは、焼そばとご飯がセットになった焼そば定食というのも見かけるよと教えてあげたかったが。
カレー南蛮の南蛮というのは何だろうと思って調べてみたら、ねぎのことだった。昔はねぎの産地といえば、大阪の難波だったので、カレー難波といっていたのが、いつの間にかカレー南蛮と呼ぶようになったという。
鴨南蛮も同じ由来だが、ねぎといえばカレー南蛮よりも、鴨南蛮の方がうんと存在感がある。というより、鴨南蛮がうまいとしたら、それは鴨がうまいのではなく、ねぎがうまいのである。鴨南蛮のねぎは、しかしうまいだけでなく、ときとして危険をはらんでいる。ねぎの中に、どうやったらあれほどの熱を封じ込められるのか。犯罪的といっていいほどの、熱いねぎに遭遇する機会もしばしばである。上級者にとっては、その危険なねぎをハホハホしながら嚥下するところに醍醐味があるといえる。
しかし、初心者ではなかなかそうはいかない。口の中に入れてしまってから、思わずしまったと後悔する。といって、そこで吐き出してしまったら、鴨南道は失格である。熱いまま飲み込んで、不覚にも涙を流してしまったり、ときには命の危険を感じる場合があったりするが、そういう危険を何度も乗り越えて、その先に鴨南道は開けるのである。
そこで、一首。若山牧水の「白鳥は哀しからずや、海の青、空のあをにも、染まずただよふ」にならって。
鴨南は楽しからずや、鴨のハホ、ねぎのハホにも、かまずただよふ