コラム
占領下の日本
2011年2月20日
世の中にはうなぎが特別好きだという人がいるので、そういう人と比べるととうてい好きな部類には入らないと思うのだが、少し前から事務所の近くに気に入ったうなぎ屋を見つけてときどき食べに行っている。老夫婦二人だけの小さな店で、客もそう多くはない。店のたたずまいは結構年季が入っている風である。味は、たれが甘くないところが他とちがう。それと、一緒に出てくるおしんこが何ともいえず絶妙の取り合わせである。何度か通っているうちに、顔なじみにもなった。ところが、去年の暮れにふらっと行ってみたら張り紙がしてあって、「都合によりしばらく休みます」と書いてあった。ああ、やっぱり畳んじゃうのか、いい店だったのになあ。それでも、ひょっとしたらと思って何回かは、のぞきに行った。しかし、張り紙は付いたまま、中は暗かった。そんなある日、店の看板に灯りが付いているのが見えた。その看板の鮮やかな黄色が、まるで幸せの黄色いハンカチのようだった。近づくと、うなぎを焼く臭いが漂ってきた。
幸せといえばもう一つ。知り合いからブリキのおもちゃをもらった。ぜんまい仕掛けで歩くクマである。クマはぬいぐるみのように表面は毛糸で覆ってあるが、色はどぶねずみ色で、顔は可愛らしくアニメ風に作っていないので、そこらに転がしておくと太ったネズミにしか見えない。クマの腹には「MADE IN OCCUPIED JAPAN」のラベルが縫い付けてあるところを見ると、どうやら60年以上前のものらしい。占領下の日本で生産されたものである。占領下というのは、1945年に日本が降伏し連合国の占領下に置かれてから、1952年にサンフランシスコ講和条約を締結して主権を回復するまでの間をいう。
おもちゃは、いまでこそノスタルジックな感傷を呼び起こすだけのものに過ぎないが、戦後、焼け跡からの復興期に欧米への輸出品目のトップを占めていたのは、おもちゃだった。メード・イン・オキュパイッド・ジャパンの文字が刻まれたブリキの自動車が、クリスマス時期ともなると、ロンドンでもニューヨークでも飛ぶように売れたが、その頃はメード・イン・オキュパイッド・ジャパンは粗悪品・コピー商品の代名詞で、日本が本物の自動車を輸出することになるなど想像も付かない時代だった。今は、日本の欧米向けの輸出品目の中でトップを占めるのが本物の自動車であることに驚く人はいない。