コラム
地震と常識
2011年3月20日
花粉に苦しめられている。日本中の山林に杉の木を植えさせて、国土を花粉だらけにしたのは政府である。完全な失策だ。それに限らず政府はやることなすこと失策ばかりだが、なぜこんなに失策ばかりするのだろう。それはこういうことではないか。政府が政策を決めるときには、有識者を集めて適当に意見を聞き、だいたいそのときの常識的なところで政策を決める。だが、そういう常識的な政策というのは時間が経つと決まって大きく外れるのだ。外れるばかりか、そのことで時にたいへんな災厄を招く。なぜか、常識では推し量れないことが常に起きるのが現実の世界だからだ。
今回の地震を予言して的中させたという人のブログを見てみたら、2月16日に、「地震が気になり始めましたので、地図を広げることにしました。」と書いてあった。続けて、
「やはり太平洋側は動く気配がムンムンしています。陸前高田という地名が声にならない会話を、自分にしています。どこにあるのだろうと探してみると見つかった。指で感じ取ろうとしたが、期待ほど感じなかったが、釜石辺りが赤く見えた。東和と書かれている辺りが気になった。今度揺れると広範囲に思える。岩手、秋田、山形、宮城、福島、茨城、これだけ書けば当たるだろうと思える県名だが、書かずにおれない気持ちになります。」とあった。
また、昨年の12月10日のブログを見ると、こう書いてある。
「原子力発電所って、我国にいったいどれだけあるのでしょうね。やっぱり気になる事のひとつです。年内かどうかわかりませんが、加圧した水を熱している部分が今日は気になって仕方がありません。そのこととは別に、想定される地震活動についても、施設を建設したころの基準に問題があるのではと心配しています。」
敗戦という破局から65年。長く続いた太平の世に、とうとう終止符が打たれた日本。沈みかけた泥船から逃げ出すように、在日外国人は次々と国外に退避しているという。歴史の教訓からすると、こうなったときはさっさと逃げ出す方がいい。今回の津波もそうだし、ニューヨークの9.11のときも、さっさと逃げ出した人は助かって、グズグズしていた人は呑み込まれてしまった。といいながら、グズグズしていることにかけては人後に落ちない地震がある。いや、自信がある。