コラム
遥かなる墓碑
2011年6月20日
魯迅の『故郷』を初めて読んだのは、たしか中学の教科書ではなかったかと思う。
「厳しい寒さの中を、二千里の果てから、別れて二十年にもなる故郷へ、私は帰って行った。」で始まるそれは、「もう、真冬の侯であった。そのうえ故郷へ近づくにつれて、空模様は怪しくなり、冷たい風がヒューヒュー音をたてて、船の中まで吹き込んできた。苫のすきまから外をうかがうと、鉛色の空の下、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに横たわっていた。覚えず寂寥の感が胸にこみあげた。」を経て、「ああ、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。わたしの憶えている故郷は、まるでこんな風ではなかった。わたしの故郷は、もっとずっとよかった。」と続くのである。
こうした感懐は故郷に帰る人の多くが抱くものだろうと思う。なぜなら、故郷は決して現実には存在しない、心象風景として我々の心の中にあるだけのものだからだ。母のいる鹿児島に久しぶりに帰ってみて、あらためてそう感じた。
同郷の俳人福永耕二が、母親と故郷への思いを句に詠んでいる。
白南風や帰郷促す文の嵩(かさ)
雲青峯母ある限りはわが故郷
福永は、1980年に42歳の若さで夭折しているが、十数年を隔てて鹿児島の同じ学校に通っていた人であったことを知って、私は学校に対して抱いていた嫌悪感が思わず知らず薄らぐのを感じたのだった。福永の代表作は新宿を詠んだ句である。
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る
自分では決して俳句をやるつもりはなく、俳句への誘いは断っているのだが、気持ちが辛くてしかたがないような時にポロっと出ることがある。この間こんな句がポロっと出た。
薔薇よ薔薇よ人は傷つくためにいる
親しい俳人に見せたら、「薔薇よ薔薇よ」に必然性がないという。なるほどと思って、「薔薇よ薔薇よ」に代わる言葉を考えているが、こうなると、なかなかポロっとは出てこない。