コラム

コロッケ投手とうどんこバッター

2011年9月20日

 

コロッケ屋上がりの投手が、コロッケ作りの極意を生かした超スローボールで活躍する話をなにかに書いたことがある。もう35年ぐらい前だ。投手の名は柿野種二郎。煮立った油鍋にコロッケを投げ入れても、投げ入れても、音もたてず飛沫もたてず静かにスーと入って行く。血のにじむようなコロッケ修行の末に柿野はその技を得た。技というよりもそれは境地だった。柿野の投げるボールからは重力が消えているように見えた。打者がバットを振るとボールは空気のようにそれをヒョイとよけてスーとミットに収まった。強打者であればあるほどボールはバットから遠ざかった。またたく間に三振の山が築かれ、柿野の球は誰一人打てそうになかった。

しかし、世の中は広い。野球界は柿野を攻略できるバッターを血眼になって捜した。そしてついに、一人の男がわら山の中から探し出された一本の針のように現れる。うどん職人、袋幸次である。袋もまた、柿野と同様に来る日も来る日もうどんと格闘し、血と汗と涙の物語を紡いできた一人だった。袋のすりこぎにかかるとうどんは、吸い寄せられるように集合し、きれいに整列した。袋のすりこぎには、まるで引力が宿っているように見えた。袋はすりこぎをバットに持ち替え、必殺のバッターとなった。

やがて、勝負の日が来る。柿野種二郎が投げた超スローボールは、袋幸次のすりこぎバットに吸い寄せられると、スコーンという音とともに場外に消えていた。次の打席も、その次の打席も結果は同じだった。がっくりとヒザをつきくずおれる柿野。にやりと不敵な笑いを浮かべる袋。その日を境に、コロッケ投手柿野種二郎の時代は終わり、しかし同時に袋幸次の短かった野球人生も終わりを告げていた。二人が、人知れず野球界を去るまでにそう時日はかからなかった。

それから、何年かが過ぎ、人々の記憶の中から二人のことが忘れ去られた頃、どこかの街のどこかの通りに、コロッケを面白いように油鍋に投げ入れる男がいるという噂を聞いた。その向かいのうどん屋はどことなく袋幸次に似た男だという。

たしか、そんな話だった。