コラム
悲劇と喜劇
2014年6月20日
鹿児島の城山観光ホテルに泊まると、タクシーの運転手さんが道々、頼まなくても城山の史跡についてガイドしてくれる。ホテルの建つ城山は、130年以上前の西南戦争の最後の戦場になったところである。ふもとの城壁には4万の政府軍の銃撃の跡が残っている。城山の中腹には、西郷隆盛が自決した洞窟の跡が見える。「晋どん、晋どん、もう、ここらでよか」と西郷さんが切腹を覚悟すると、「ごめんなったもんし」といいながら別府晋介が介錯したと、運転手さんはいうが、介錯したのは“人斬り半次郎”こと桐野利秋だとばかり思っていたので、あとで確かめてみたら、運転手さんの方が正しかった。
西郷隆盛は、金も名誉も命もいらない人だった。安政の大獄のときに、錦江湾に身を投げたが助けられて徳之島に島流しとなった。その後、再び沖永良部島に2回目の島流しとなった。そうしたことが影響したと思うが、西郷は金にも名誉にも自分の命にも執着を持たない人になっていた。それに対して、明治新政府に参画した他の人たちは、権力欲の塊であった。徳川幕府との戦いに勝った勝利者の特権として、転がり込んできた権力に酔い、大衆を従えて国家を運営することに矜持と恍惚を覚えていた。それで、いい気分に冷や水を浴びせるような西郷の存在が邪魔になり、追い払った。西郷は、権力の亡者たちに嫌気がさして、野に下り体制に反旗を翻したのだ。そういえば、最近の日本でも似たようなことがあった。少し前の民主党政権のときだ。
小沢一郎は、金も名誉もいらない人だった。それに対して民主党政権に参画した他の人たちは、権力欲の塊であった。自民党との選挙戦に勝った勝利者の特権として、転がり込んできた権力に酔い、国家を運営することに旨味と恍惚を覚えていた。それで、冷や水を浴びせる小沢の存在が邪魔になり、追い払った。小沢は、野に下り体制に反旗を翻したが敗れた。
ヘーゲルが言って、マルクスが使った「歴史は繰り返す。一度目は悲劇、二度目は喜劇として。」という言葉を思い出した。