コラム
呼子と口笛
2014年8月20日
ブータンといえば、世界一幸せな国だと思っていたら、そう単純な話ではなかった。日本や欧米などの先進国は、国民の豊かさを示す尺度として国民総生産(GNP)や国内総生産(GDP)を掲げているが、ブータンでは国民の精神面での豊かさを示す国民総幸福量を最大化することを目指し、国民総幸福量の増加を国の政策の中心にしているということだった。
ところが、10年ほど前にブータン国王が宣言したテレビとインターネットの解禁が、ブータンに予期しない変化を引き起こしていた。テレビやインターネットを通して外の世界に触れ、華やかな世界に幻惑されて田舎から当てもなく都会に出てくる若者たちが引きも切らず、携帯電話を片手に、急ごしらえのネットカフェやゲームセンターに入りびたり、街路にたむろする光景が、今のブータンでは珍しくなくなったという。どうやら、テレビとインターネットの普及によって、私たちの知る幸福国家ブータンは崩壊してしまったというのが真相のようである。
考えてみれば、知るということは恐ろしいことである。知らなければバラ色に見えていたものが、知ることによってすっかり色あせて見えたりする。希望に満ち満ちていたものが、ばかばかしいものに変わったりする。女性の識字率の向上が現代世界の変動の遠因だとする歴史人類学者の指摘もなるほどと思える。
今年の夏も東京は異常に暑い。大学の古い友人たちが毎年やっている夏旅行に誘われて、ほんの2~3日だが、猛暑の東京を離れて那須に行ってきた。友人たちは私以外みな高校や大学の教員である。だからということもないのだろうが、酒を酌み交わしながら最初は世間話でお茶を濁していても、結局いつも、途中から教育の問題や歴史認識、政治の問題をめぐって深夜まで遠慮のない議論になる。
今年は、原発の問題がテーマになった。原発が、必要なのかどうか。必要だったのかどうか。廃止できるのかどうか。廃止すべきなのかどうか、を巡ってひとしきり熱くなったが、皆が寝静まった静かな旅館の一室で、いつまでも議論でもないだろうというので、日付が変わるころにはさすがにお開きとなった。