コラム
一般大衆諸君
2014 年12月20日
大衆文化にどっぷりとつかった人を大衆というとすれば(というより大衆というんだが)、私は紛れもなく大衆である。というのも、モーツァルトやベートーヴェンを聞いても、ほとんど涙を流すことはないのに、テレビの『全日本歌唱力選手権』で高校生の女の子が演歌を歌うのを聞いて心を揺さぶられ、感動の末に不覚にも涙を流してしまったのだ。ええそうですよ、私は骨の髄まで大衆ですよ。
それにしても、大衆は昔も今も変わらないはずなのに、大衆という言葉には昭和の匂いがするのはどうしてだろう。
まず、大衆という言葉で真っ先に思い浮かぶのは、大衆食堂である。その昔、どこの町に行っても、大衆食堂は、大衆食堂らしい佇まいで人々が来るのを待っていた。それがいつの間にか姿を消し、吉野家や松屋に姿を変えた。
それから大衆車という言い方も、昔はあった。確か、トヨタのパブリカが、そうだった。だから、「いつかはクラウン」という宣伝文句にも意味があった。
その他、大衆演劇、大衆小説、大衆紙、大衆酒場から、大衆路線、大衆魚、大衆薬なんてのもあった。
週刊誌の「週刊大衆」も最近まで残っていた。そういえば、だいぶ前になるが詩人のIさんの家に遊びに行った時、御主人が週刊大衆の記者をしているという話だった。
それと、大衆社会は社会学の用語だが、これを少しもじったような「社会大衆党」は、ちょっと前まで沖縄にあった政党だ。
いろいろ挙げてみて、ようやく気がついたことがある。大衆は、やはり昭和で消えてしまったのではないか。大衆というのは連帯していることが嬉しくなるような、岡林信康の『友よ』を気恥ずかしく感じずに歌えるような、そんなメンタリティのかたまりのことで、それは戦後のある時期までのことで、大衆食堂や大衆酒場なんかといっしょに、大衆も、時代のかなたに消えてしまったのではないだろうか。