コラム

寄席の話

2015 年4月20日

 

若いころ悪友のKと一緒に池袋の寄席に落語を聞きに行った。食べ物の話が出てきて、「もりそばを食う時は、ギョクの一つも頼んで、そばの上からからめて、つゆを付けてささっとすする」という。「そうか、卵のことはギョクというんだ。こりゃ使えるな」Kが言った。さっそく、帰りに蕎麦屋に寄って、もりそばとギョクを頼んだ。二人分だ。それで、出てきた卵を割って、そばに掛けた途端、ざるの隙間からどろっと流れ出て、からめるどころではない、二人分の卵がテーブルいっぱいに広がった。「あれっ、話が違う」。二人でぞうきんを借りて何度も拭いた。蕎麦屋の人も、客もみんな無言だった。「すみませんでした」と謝って、食べるのもそこそこに店を出た。Kといるとロクなことがないと思いながら、寄席の話を真に受けてはいけないと学んだ。

寄席では、そばのほかに、鮨のつまみ方の話もあった。鮨はハシなんかでみみっちく食うんじゃない。指でつまむ。そして指が臭くならないように、アガリですすぐんだという。そのために口の大きい茶碗が出るんだ。しかし、出てきたアガリはとても指を入れられるような熱さじゃなかった。

だいたいその頃のことだと思うが、高田馬場の駅の近くに住んでいた若い落語家の家をなにかの件で訪ねたことがあった。駅の向こう側に、マリリンモンローと関取が相撲を取っている質屋の看板があって、その近くのハンコ屋の上だと聞いていた。細い階段を3階まで上ると、ものすごく凝ったオーディオセットに挟まれて落語家が待っていた。当時36~37歳だったと思うが、人に媚びずに人を和ませる希有なたたずまいを感じさせた。それから小一時間くらい話をしたはずだが、覚えているのは予備校生の頃から高田馬場の駅前に今もある国際センターでよくパチンコをしていたという話と、駅のホームから「おーい、小三治ぃ~」と呼ばれたら、「なんだ~い」と応えられるという話だった。

10日ほど前に、品川の二つ先の新馬場にある六行会ホールの寄席に行った。寄席は久しぶりだったが、柳家権太楼と桂文治の話は、落語の醍醐味にあふれていた。話の中で、小三治がどうとかこうとか、人間国宝という言葉が聞き取れたので、えっと思って、調べてみたら、あの柳家小三治師匠は重要無形文化財保持者、通称「人間国宝」になっていた。