コラム
戦争と人間
2015 年11月20日
日本で戦争に反対する人が多いのは、その方が一般にウケがいいからである。空気が一変して、ウケるどころか非国民呼ばわりされるような社会になれば、きっと戦争に反対する人はほとんどいなくなるに違いない。
テレビのスポーツ中継を見ていると、サッカーでも、ボクシングでも、日本のチームや選手に対するアナウンサーの肩入れがすごい。日本側が明らかに劣勢でも優勢のように放送したり、日本側の反則に関しては控えめである。こういうものがエスカレートしてくると、昔の大本営発表のようになってしまうのだろう。アナウンサーは、日本に肩入れする方がウケると思ってやっているのだろうが、天邪鬼な私は、いつも外国のチームや選手の方に肩入れするので、もっと公平な放送ができないものかといつも思う。
戦争の話に戻ると、私は戦争はあった方がいいのかもしれないと思うことがある。ただただ、軽薄に生きている私たちも、戦争があって極限状態に置かれれば、今より少しはマシな生き物になれるかもしれないと思うからである。戦争は非人間的だというが、人間は非人間的な状況に置かれなければ、人間になることができないのではないか。石原吉郎という、シベリアの強制収容所生活を25年囚として体験した詩人がいるが、ときどき思い出したように読みながら、そういう気持ちになるのである。もちろんその一方で、ただただ軽薄に生きていけることを寿ぐ気持ちもどこかにないわけではない。
ところで、一頃、相続税対策と銘打ってマンション業者や住宅メーカの新聞広告やチラシがうるさかったが、すっかり下火になったようだ。今の日本では人口減少と高齢化が一気に進むことによって、空き家の増加が止まらず、住宅価格は2040年には46%下落するという試算がある。またこれとは別に、2040年には日本の地価は現在の3分の1まで下落するという予測もある。これでは、相続税対策でアパートやマンションを建てても、入居する者がいなくなり、相続税は節税できても元も子もなくすという結果になりかねなかった。形を変えたオレオレ詐欺のようなものではないかと思っていたので、下火になってやれやれである。