コラム
トランプとピケティの関係
2016年11月20日
武力や富による支配には命がけで抵抗する世界の人たちが、知による支配にはなぜ反発しないのか常々不思議に思ってきた。その理由としては、まずほとんどの人が子どものうちから学校で知による選別を徹底的にたたきこまれ、知による階層化に疑問を持たないように仕込まれてきたということが一つあるだろう。それから、世界中の政府や公的機関、会社などでも、当たり前のように知による選別や階層化が行われ、知の支配が徹底されてきたという現実がある。また、知の信奉者の最たるものである世界中のマスコミやジャーナリズムが、しゃかりきになって、知の支配を覆すものを悪魔呼ばわりして、知の支配の応援合戦を繰り広げてきたということがあるはずだ。
アメリカ大統領選でトランプが選ばれ、クリントンが敗れたのは、こうした知の支配に対する反発と読むことができるのかどうかわからないが、このところの知の支配が行き過ぎていることは誰しも認めなければならないと思う。
経済学者のピケティは、評判になった『21世紀の資本』の中で、現代の格差社会の原因を資本の収益率が経済の成長率よりも高くなっていることに求めたが、それよりもポスト工業社会から、情報化社会の進展に伴って知の収益率が大きく向上し、それと対照的に単純労働の収益率が引き下げられてきたことに、原因を求めるべきではないかと思う。
よくマスコミでは、一握りの富裕層が世界の富の大半を所有している実態が報道されたりしているが、もう少しその実態に目を凝らすと、おそらくそういうことよりも、知によって選別された上位の階層に富が偏在する社会構造になっていることが明らかになるはずだ。
そうはいっても、私たちが知をありがたがり、知の支配を喜んで受け入れるのは教育や社会制度のせいなどではなく、なにかもっと本質的なことがあるはずなので、そこから人類が抜け出すのは、あと数百年はむずかしいのではないかと思う。