コラム
アンパンマンの秘密
2025年4月18日
七十歳を過ぎてブレークしたのは世界広しといえど僕ぐらいのものでしょう、と笑いながらしゃべっていたのが強く印象に残っている。ずいぶん前に、アンパンマンの作者やなせたかしにインタビューしたときのことだ。僕はそのとき公認会計士新宿会の会長をしていて、会の予算が余っていたので、五千人の会員向けに会報を発行することを思い立ち、新宿区の名誉区民だったやなせたかしのインタビュー記事を載せたらどうだろうと本人に申し込んだら快諾してくれて、曙橋のアトリエを訪ねたのだった。
「手のひらを太陽に」の作者で、「詩とメルヘン」というあまり売れない雑誌の編集長だったことは前々から知っていたが、若いころ三越の宣伝部にいて、猪熊弦一郎画伯がデザインをしたあの有名な三越の包装紙に、宣伝部員のきみがロゴマークを入れろと言われてmitsukoshiと入れた話は、その時に初めてうかがった。
その後、新宿区の新年会で九十歳を超えたやなせたかしが自分で作詞作曲した歌を三番まで朗々と歌う姿に遭遇したこともあった。そのときは、いったい誰がこんなプログラムを考えたのだろうといぶかりつつも、誰もが神妙に聞いているふりをして、アンパンマンの作者への敬意を表していた。
ところで、アンパンマンの絵やストーリーを前にしてあらためて思うのだが、やなせたかしが七十歳を過ぎてアンパンマンでブレークしたのは、彼がそのときまだ漫画家になりきっておらず、詩人にも、絵本作家にもなりきっていなかったからではなかろうか。かといって、漫画家くずれや、詩人くずれ、作家くずれでもなかった。彼はくずれていなかった。七十歳にして彼はくずれていなかったし、七十歳にして彼はまだ何者にもなりきっていなかった。それが彼にあの不思議なアンパンマンのキャラクターを作らせたのだと思う。
そんな人はざらにいるではないかと人は言うかもしれない。しかし、そうではない。そんな人はめったにいない。多くの人は七十歳までには何かになりきってしまうか、でなければくずれてしまう。くずれず、なりきらず、やなせたかしの巡り合わせは、そのときを待っていたのだと僕は思う。だから、なりきることだけが能ではない。なりきらないこともまた能になり得るのである。