コラム
人は何故それを背負うか
2017年10月20日
背中にリュックを背負っているリュック族がじわじわと増えている。電車の中などで、前にも後ろにも、右にも左にもリュック族がいて囲まれてしまうと、なんだか終戦直後の買い出し列車を思い出しそうになる。といっても、実際は知らないのだが。
リュック族は老若男女を問わず、以前はやはり正業に就いていなさそうな若者たちや一仕事終えた高齢者層が多数派を占めていた。ところが最近は勤労者層の台頭が著しい。見慣れない頃は、何が悲しくてそんなものを背負わなくてはならないのかと眺めていたが、ネクタイに背広姿のサラリーマンやOLが横に何人も並んでリュックを背負って吊革にもたれている姿も、今ではすっかり慣れっこになった。
しかし、リュック族は昔から目立っていたわけではない。一頃は、山岳部やワンダーフォーゲル部、放浪画家、ホームレス、泥棒などの人々に限られ、明らかに少数民族の地位にあった。それがなぜ、今になって大きく台頭してきたか。
これについて、私は3説をあげてみたい。
一つは、非常時予感説。これは近い将来に、我々が戦争難民となって世界を放浪する運命が待っていたり、そうならないまでも、田舎に疎開したり、食料を買い出しに行ったりする時が近づいており、その予感が人々をしてそれを背負わせているという説である。
二つ目は、焼け跡闇市ファッション説。これは、戦後も70年以上が経過して、終戦直後の、あの誰もがリュックを背負って、戦地から復員したり、焼け跡闇市をうろついたりしていた頃のファッションが、最新流行として今に蘇ってきたのではないかという説である。
そして三つ目が、ランドセル執着説。我が国では、誰もが学齢に達するのとあわせて、ランドセルを背負い、6年間もの長きにわたり、それは小学校を終えるまで続く。しかし、中学に上がってランドセルから強制的に引き離された後ろ髪を引かれる思いはそう簡単には消えるはずがない。小学生の後姿を見ると、そのランドセルを奪い取って背負ってみたい衝動に駆られるんですよという告白は誰からも聞いたことはないが、リュック族にはきっとその執着が潜んでいるに違いないと密かににらんでいる説である。