コラム
読書の楽しみ
2022年12月20日
読書というのはすらすら本を読むことだと思って長年生きてきたが、どうもそうではなさそうだということがここへきて分かってきた。日本語の本はずーっとそういう読み方をしてきているので、なかなか読み方を変えることはできないが、日本語以外の本は言葉の意味を一つ一つ吟味しながら、文脈に照らし合わせて読んでいくので、すらすらは読めないが、その一つ一つの吟味が読書という行いになってきて、そちらの方が本来の読書だと自分でも思うし、だんだんそれが習い性になってくると、時間のかかる吟味の方が楽しく、すらすら読める日本語の本がつまらなくなってしまった。
ああ、若い時にそのことに気が付いていれば、もっとましな人間になっていただろうにと思うが、まだ間に合うかもしれない。何に間に合うのかよくわからないが、夕べに道を知ればなんとやらだ。
瀬戸内海のどこかの島だったと思うが、テレビで移動図書館のドキュメンタリーをやっていて、見ているうち、子どものころ田舎で移動図書館の本をよく借りていたのを思い出した。借りた本の中で、一番印象に残っているのは、食べても食べてもなくならないどころか、どんどん増え続ける『永久パン』の話だ。改めて調べてみると、『永久パン』はベリヤーエフ少年科学小説選集に出てくる話の一つで、1963年11月に発行されている。ちょうど小学五年生のころで、出たばかりの新刊本を借りられたらしい。
永久パンは、全人類を飢えから解放するパンとしてドイツで発明されたのだが、ものすごいスピードで増え続け、洪水のようにあふれ出して、世界中が永久パンで埋め尽くされる。人々は永久パン退治のために不眠不休で働くが追いつかない。人類ももはやこれまでと思われた時、永久パンを絶滅させる研究が完成し、救われた人々は、再び晴れやかな顔で明日の糧を求めて働きに出ていくという話である。
そういえば、寺山修司が子どものころに読んだ本のベストワンに、この『永久パン』を挙げていて、へえと思ったことがあった。