コラム
そうか、経済は回すものだったのか
2022年5月20日
ひと頃、お笑い芸人のコメンテーターが「コロナ対策も大事ですが、経済を回すことが何より大事ですからね」と言っているのをよく聞いた。コロナ禍の下で、すっかり人口に膾炙した言い方に、この「経済を回す」がある。テレビでは、評論家も政治家もみな「経済を回す」、「経済を回す」と喧しかったので、「そうか、経済は回すものだったのか」と思って、手許にあるマクロ経済学の本や、念のためにミクロ経済学の本も開いてみたが、どこにも「経済を回す」なんて表現は出ていなかった。
資金循環という用語はあるので、もしかすると「カネを回す」という言い方を、少し格好をつけて「経済を回す」と言ってみたのだろうか。たしかに、「コロナ対策も大事ですが」と言った後で、「カネを回すことも大事ですからね」では、やっぱりなにか品がない。
しかし、「経済を回す」というのは、それともちょっと違って、面倒な説明をおおざっぱに十羽ひとからげしたような、経済学の本には書かれていなくても、案外本質を外れてもいない言い回しではないかと思う。
「回す」というと他に何だろうか。たとえば、高野山の六角経蔵。一回転させると一切経を読んだのと同じ功徳を得られるという。それから、チベット仏教のマニ車。だいぶ前に写真家の児玉智子さんから、写真集の『裸足のカルカッタ』と一緒にチベット土産のマニ車をもらっていたのを思い出し、引っ張り出してきて、ひとしきり回してみた。すると、走馬灯のように。あれはいつのことだったか、河口慧海の『チベット旅行記』の話で酒宴が盛り上がったのは。三碧会だったか、それとも、もう少し前の予備校の講師の頃だったか。
人間にとって経済とは何か、起源から問うと題する大澤真幸の『経済の起源』を読んでいたら、本を閉じるのが惜しくなって徹夜してしまった。経済取引と贈与の違いについて、自分が表面的なことしか考えてこなかったことに気付かされた。贈与についても、単純に、男性は価値がないから贈与されず、女性は価値があるから贈与されたぐらいにしか思っていなかった。そこにはもっと深い背景があったのだ。そもそも、人はなぜ贈与するのか。なんて、考えてもみなかった。