コラム
走れメロン
2019年9月19日
日本を代表する作家というと、夏目漱石や谷崎潤一郎、川端康成などを連想する人が多いと思うが、彼らは立派すぎて私は挙げる気にならない。私が日本を代表する作家として連想するのは、太宰治である。太宰は、大方の日本人と同じように、生き方はいくじがなく、だらしなく、立派とはいえなかったが、文学は誠に立派な文学だった。
太宰の作品の中で最もよく知られているのは、『走れメロス』である。小学校の教科書や紙芝居などで幾度となく登場しているので、物語のすじがきを知る者は多いが、その背景を知る者はそうはいない。
この作品は、「熱海事件」がモチーフになっているという。それは、昭和11年の暮れのことであった。熱海に滞在していた太宰のもとに、太宰の最初の妻であった初代夫人に頼まれて、檀一雄が金を届けに行った。太宰は喜び、見晴らしのいい袖ヶ浦のイケスの天ぷら屋に行こうといって、おそらくツケがたまっていたのだろう、近くのノミヤのオヤジまで呼んで、あらかたの金をそこで使いきってしまった。結局またノミヤのオヤジの店に舞い戻って飲み続けるはめになり、元の木阿弥である。そこで太宰が菊池寛のところに借金に行くといって熱海をあとにし、檀一雄が人質に残された。せっかく金を届けてやって、とんだ災難である。ところが五日経っても、十日経っても帰ってこないので、しびれを切らしたノミヤのオヤジに連れられて、檀一雄が東京の井伏鱒二の家に出かけて行くと、あろうことか太宰は井伏鱒二とのんびり将棋を指していた。檀一雄が思わずどなると、太宰は泣くような顔で、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」とつぶやいたそうだ。
この腐ったメロンのような汚濁の中から、あの美しい『走れメロス』は取り出されたのだ。私が、太宰は、生き方はいくじがなく、だらしなく、うぬぼれ屋の甘ったれで、立派とはいえなかったが、文学は立派な文学だったと思うのは、かくなる理由からである。